◇校歌の由来(昭和3年制定)◇
釧中13期生の担当教諭であった菅原覚也氏(本行寺4代目住職)が、当時、釧中校歌の一般公募に投稿、最優秀作品として表彰され、
その後、文学博士高野辰之氏の校閲を経て正式に採用されたものである。菅原氏は、昭和38年に没したが、歌詞の「五星霜」が「三星霜」
に変わっただけで、湖陵高校校歌として尚歌いつがれていることに大変感謝していたという。
作曲者信時潔氏(1887~1965)は、日本を代表する作曲界の先駆者であり作風は古典的で素朴な歌曲を多く残した。
1910年、東京音楽学校本科卒業(現東京芸大)その後ドイツに留学し帰国後(1923)母校の教授となる。
1942年 学術院会員・1963年 文化功労者主な作品に「海ゆかば」など、地元では、釧路市の歌・北教大釧路分校校歌がある。